2011年2月26日土曜日

赤ちゃんは新聞がお好き!

子どもを育てていると、色んな発見があって面白いんだけど、五ヶ月にもなるとおもちゃへの反応も変わってきた



今はこんな感じの、カシャカシャしたおもちゃにハマり中。
ずーっと遊んでる!その姿がまるで、新聞を読んでいるような感じ。
かわいい! 親バカですね

2011年2月23日水曜日

創ってみたいこと

子どもが産まれたら創ってみたかったのが、絵本です。 別に絵心もなければ、そういうトレーニングを受けてたわけではありませんが、子どものために自分で創った絵本を読んであげるって、なーんか良いなーって興味あります。 まぁ、やることは沢山あるのですが、楽しそうなのでそのうちチャレンジしてみます。 子育ては、いくら子を思おうが、子どもは思い通りに受け止めてはくれません。 頭ではわかっていても、実感するとまた違う感じだな~。 子どもは、親のシステムに多くを依存して、カップリングしていることが多いけれども、心的システムはすでに独立しており、閉鎖円環系のシステムを築いているんだね。 BlogBooster-The most productive way for mobile blogging. BlogBooster is a multi-service blog editor for iPhone, Android, WebOs and your desktop

2011年2月21日月曜日

2011年2月20日日曜日

iPhoneからの投稿テストです

iPhoneのアプリが便利で、どんどんパソコンを開かなくなってきています。

このブログの更新は、パソコンから行っていたのですが、今日ついにブログ更新ができるアプリを導入。

アプリ名等は、実験と更新実績が伴ってきたら報告します。

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2011年2月6日日曜日

学割の恩恵(社会人大学院生)

せっかく学費を払って(けっして安くはない)学校に通っているので、学割は有効に利用したいところです。

社会人大学院生にとって、授業が少なくなって(M2以降)学校へ通う回数が減ってくると学生であるという実感が無くなってきます。

そんなとき、学生証を提示して学割を受けると「あー、自分は今学生なんだな~」ってちょっと嬉しい気持ちになります。

といいつつ、あまり学割の恩恵を受けることが田舎に暮らしていると無いのですが、今までで学割を使ったのは

映画、居酒屋、定食屋、そして今日行ってきたのですが、スキー場のリフト券!
通常より数百円ですが安くなりました。

修論が一段落ついて、久しぶりのスキーでしたがやはり体を動かすことは良い!と実感しました。体中の血が循環して、古い血液が汗となり、新しい血液が製造されたような、すっきりとした気持ちになりました。

走ることも良いのですが※(前回の日記)、北海道の冬はなかなか走ることが出来ないので、ウィンタースポーツを改めて(学生時代は、体育会のスキー部でかなり鍛えていた)、始めようと思いました。

あ、学割ですが
パソコンのソフトの購入は、大学院に所属している間に買うことをお勧めします。アカデミックパックで買えるので、かーなりの値引きが期待できます。
あと、大学生協で買えるパソコンも安かった気がします。

せっかくの大学院生としての生活、社会人でも学割が適用になりますので活用してみてはいかがでしょうか。

2011年2月5日土曜日

研究者と小説家

今日は、久しぶりにゆっくりと家で過ごしているので、ブログの更新。

修士論文もとりあえず書き終えて、ちょっと研究とは関係のない本も少し読み始めようと思い、図書館から本を借りてきました。
村上春樹『走ることについて語るときに僕の語ること』2007年、文藝春秋 (←入院の結果こんな表記)
村上春樹氏のエッセイです。小説も好きですが、村上氏のエッセイが好きでほとんど読んでます。

タイトルのとおり、村上氏の走ることについてのエッセイです。

自分も、中学校まで陸上をやっていたので、走ることは嫌いじゃありません。
しかし、もっぱら短距離や幅跳びが主で、長距離は苦手&嫌いでした。

これは性格に起因するもので、いま振り返ってみても、人生短距離の連続をつなぎ合わせて生きてきたようなものです。
論文を書くときも、やはり短い集中をつなぎ合わせて書いていったと思います。

でも、こういうやり方&性格が研究職に向くかどうかというと、▲だと思うんですよね。
コツコツ、地道に理論を練り上げていくことのできる性格じゃないと、破綻するような。。。

んで、村上氏のエッセイなんだけど
走ることと、小説を書くことについて述べている部分が、走ることと研究者に必要なことに置き換えても成り立つような気がしたので、ちょっと長いが引用してみます。

P110~
長編小説を書くという作業は、根本的には肉体労働であると僕は認識している。文章を書くこと自体は多分頭脳労働だ。しかし一冊のまとまった本を書き上げることは、むしろ肉体労働に近い。
中略
実際にやってみれば、小説を書くというのがそんな穏やかな仕事ではないことが、すぐにおわかりいただけるはずだ。机の前に座って、神経をレーザービームのように一点に集中し、無の地平から想像力を立ち上げ、物語を生み出し、正しい言葉をひとつひとつ選び取り、すべての流れをあるべき位置に保ち続ける-そのような作業は、一般的に考えられているよりも遙かに大量のエネルギーを、長期間にわたって必要とする。
身体こそ実際に動かしはしないものの、まさに骨身を削るような労働が、身体の中でダイナミックに展開されているのだ。
中略
P113~
僕自身については語るなら、僕は小説を書くことについての多くを、道路を毎日走ることから学んできた。自然に、フィジカルに。そして実務的に。どの程度、どこまで自分を厳しく追い込んでいけばいいのか?どのくらいの休養が正当であって、どこからが休みすぎになるのか?どこまでが妥当な一貫性であって、どこからが偏狭さになるのか?どれくらい外部の風景を意識しなくてはならず、どれくらい内部に深く集中すればいいのか?どれくらい自分の能力を確信し、どれくらい自分を疑えばいいのか?もし僕が小説家になったとき、思い立って長距離を走り始めなかったとしたら、僕の書いている作品は、今あるものとは少なからず違ったものになっていたのではないかという気がする。

ちょっと長い引用でしたが、小説の部分を論文に置き換えたとしても十分通じると思いました。

実際、自分が修論を書いているときも、考えをまとめるとき、内容が煮詰まったとき、どんどん書き進めることができたときは必ず体を動かしていました。
それは、散歩をすることもあったり、長距離を走ることもあったし、プールへ行き長い時間泳ぐこともあった。

村上氏の文章を読んで、すごく納得した。
何か文章を書くというのは、メンタルな部分とフィジカルな部分が密接に関係していたことを。

自分は、長距離を走ることは苦手だけど、嫌いじゃない。
短い距離でも繋ぐことで、長い道のりを進むことができるのではないか。もう少し、自分のスタイルと付き合いながら人生を送ってみようと思う。

村上春樹も始めから小説家になりたかったわけではない。ある日突然、ビールを呑みながら外野席で野球を見ているときに啓示を受けたのだから。